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ブログ 2025.04.22

家業とともに育った少年時代

家業とともに育った少年時代

こんにちは、住まい工房ナルシマの広報担当の本領です。

成島大敬社長に、ご自身の生い立ちについて、お話を伺いました。

本領:前回も少し触れましたが、幼少期から家業が身近にあったとのこと。どんな環境で育ったのですか?

成島大敬(以下、大敬):はい。実は今の場所、ここが昔は材木商店だったんです。僕は、その敷地の一角に建っていた家で育ちました。朝は「行ってきます」って材木屋の入り口から出て行って、同じ場所に「ただいま」って帰ってくる、そんな毎日でした。

本領:家業が生活そのものだったのですね。

大敬:そうですね。材木商店だからって、当時の僕にとっては特別なことじゃなくて、「何か木を扱っている場所なのだろうな」くらいの感覚。でも、祖父や祖母がいつもそこにいて、大人たちが働いている姿が自然と目に入っていたのは確かです。

本領:お祖父さまは現役で仕事されていたんですか?

大敬:うーん、仕事しているっていうよりは…いつも店先でコーヒー飲みながらタバコ吸ってたり、道行く人と話している姿のほうが印象に残っていますね(笑)。あとはよく海外旅行に行っていて、お土産もらった記憶も強いです。

本領:素敵ですね。子どもながらに「おじいちゃん、何かすごいな」って感じていたんじゃないですか?

大敬:そうかもしれません。あと、うちの祖母は経理担当で、いつも帳簿を見ながら仕事をしていました。その姿はよく覚えていますね。

本領:その後、地元の小学校から東京の私立中学に進学されたと伺いました。

大敬:はい。中高一貫の男子校でした。実は僕、小学時代から勉強が好きで、特に算数が大好きだったんです。ナンバープレートの数字を足したり、掛け算を覚えたり…祖父も数字好きだったので、きっと影響を受けたんだと思います。

本領:反抗期なんかはありましたか?

大敬:特に親に対して反抗した記憶はないんですけど…中一のとき、クラス代表にならなきゃいけないことがあって、それがイヤすぎて5日間学校をボイコットしたことはありました(笑)。

本領:それはなかなかの反発ですね(笑)。でもその後は普通に通っていた?

大敬:はい。その一件以降は割と落ち着いて過ごしていました。

本領:そして東京大学に進学されるわけですね。理科一類から建築学科へ。次回はその大学時代について、さらに深く伺いたいと思います。

大敬:はい、よろしくお願いします。

次回は、大学生活や建築への思い、進路の模索について語っていただきます。ご期待ください。